10月13日。

2008年10月13日 その他
新しいシェーバーを買う。
以前使っていたものは、その前に使っていたもののワンランク下の製品。
そのせいか、どうも剃り心地が悪く、音も煩く、不快な気分の募るシェーバーだった。
どうしようか迷っていたのだけれど、今回ようやく買い替えることにした。
新しいシェーバーはフィリップスのHQ8155。丸い刃が3つ付いているタイプのもの。
よく使うものだから、金に糸目は付けず、良いものをと思っていたのだけれど、いざ買う段になると「まあ、これでも良いか」と譲歩してしまった。
2万円ほどの出費を考えていたが、結局9千円ほど。我ながらみみっちい。
それでも初剃りではなかなかの使い心地だと満足する。
なによりも音が静かだ。

そういえば「蒟蒻畑」が一時販売を停止するとか。
注意書きに書いているのに。
誰がそこまで気を使わせているのだ。気持ちの悪い。
過失を他人になすりつける事が好きな人が増えてきているのかな。
弱気になっていると、そのうち餅まで訴えられかねないから、気にしないで販売開始しますように。
販売開始する場合「嚥下するに不都合のある方、50歳以上の方は食べてどうなっても知りません。5歳以下の幼児が食べる場合は全責任は保護者に有ります」とかにしとけばいいんだ。
まあ、マンナンライフは「腹立つから停止しちゃえ!」って、厭味のつもりだと思うけど。

9月23日

2008年9月24日 その他
事故米、業者より農水省の責任を早く追求しろ。
事故米を知らずに仕入れたという業者「怒りを感じます」って、儲けるために安い米仕入れる時は疑え。
それにしても、米ですらこうなのにトウモロコシ(揚げ物の油がコーン油だったりする)や豆などまで徹底的に調べていくと、たぶん全ての加工食品が危険なんだろうな。

9月10日の日記

2008年9月10日 その他
凄く変わっているので驚きました。
思わず場所間違えたと、検索し直しました。

30代になり、肉体に衰えも感じはじめた今年。
体重も、軽いダイエットでは減らず、息切れや動悸も感じるような感じないような。
しかし、あらゆるスポーツを体験入学してきた私、ここは踏んばりどころと肉体改造に乗り出しました。
…それが3月頃の話でしょうか。
今では176センチ78キロの肉体は、185センチ70キロになりました。
いや、身長が伸びているのは嘘ですが、体重は半年で8キロ落とすことができました。
夏の暑さにも助けられ、非常に汗をかけました。
仕事では進んで力仕事に従事し、自宅での筋トレにヨガもどき、職場の倉庫に無断で作ったベンチプレス(拾得物)、お得な定期券での市民プール通い。
こんなに頑張ったのは10年ぶりくらいではないでしょうか。
胸囲97センチ、腹筋もバリバリに割れました。
以前までは「毎日トレーニングすることは体に悪い」という話を信じ、ほどよくやっていくうちに面倒くさくなり、放棄、という流れでしたが、今回は「素人だから必死にやってもたかがしれてる」という信念のもと、毎日トレーニングしました(トレーニング後はプロテインを飲んでいました)。
辛い半年でした。特に職場ではそのストレスを露出させていました。

(私にとって職場というのは、間違った考えとは思いますが、テーマパークのようなもので、一生懸命遊べる場であり、ストレス発散の場なのです。環境も自分が楽しめるように工夫します。元々たいした仕事の出来る人間ではありませんが、現在の会社を分析した結果「自分の仕事を奇麗にまとめる」ということはせず、自分にしか分からない、自分にしかできないような複雑な状況を作り出すほうが将来的に安全であると判断した結果、大変面白く仕事ができています。ただ、これからはこの会社で数年後の「変化」を待つか、さらに好きなように仕事できる分野に引っ越すか考え中です)

ようやく体重も目標に近付き、目標は68キロなのですが、近付いたことで「これ以上痩せると細すぎる」と判断、そろそろ体重を維持する方向へ転換しようかと思っています。
また機会があればトレーニングの内容や、そこで感じたことなどもアップしたいと思います。

さらにこの10月からは違う目標もたてているのでまた来年の12月頃に発表できると良いと思っています。

最近ハマっていることは「イタリア語」と「パスタ料理」「ビリヤード」です。



そういえばさっき(8時ごろ)公園で、お母さんが子供たちに「10時までには帰っておいでよ!!」と怒ってましたが、10時って(もちろん夜)……時間おかしい。
現代の親は共働きや残業やなんやらでどんどん仕事中心の生活になっていて、子供の環境までそれに沿ったものになってきてしまっているのではないでしょうか。
それとも都会の魔法でしょうか。







3月14日の日記

2008年3月13日 その他
橋本さんも、現時点ではあんな若い人に反発されるくらい影響力が無いのですね。
とにかく普通に働いてた人(橋本さん)が「早く出てきて朝礼なんてまっぴらごめん」なんて言われればガチーんとくるでしょうね。
「君たち公僕がサービス残業して、民間の方々をお助け差し上げないでどうするんだ」
って言っといてほしいものです。
「5時で終わるから4時までに書類は持って来い。駄目なら明日だ。でも昼飯時は誰も対応しないぞ」
が役所のスタンスでしょうからね。
だからこちらとしても優先順位がおかしくなってもともとの業務は後回し後回しで残業残業になるんじゃないか(あ、大企業と役所はよく似てる)。
労働条件なんて公務員や大企業みたいな上からじゃなくて下から良くなるようにならないものでしょうか。勇気の必要なことでしょうが。
(クールビズなども得意先に営業にいくためには出来ませんよね。行けばあちらではクールビズだったりするのですが)
率先して公務員が労働条件云々ってのはいただけないように思います。苦しい労働の許容範囲が小さいのでしょうか。
つまり、公務員等がサービス残業していようがいなかろうが、それが見本になるなんてことはなく、中小企業など経営状況や景気や顧客のニーズや上の気分などでいくらでも労働条件は悪くなるのですから。
(そんなわけで多少でも民間企業をフォローする仕事をがんばってほしいところですが)
そもそも役所って必要なのでしょうか。
いや、最近公務員の必要性をあまり感じなくなってきたものですから。

まあ、これはあくまで無知ないちサラリーマンの視点です。
多くの一生懸命頑張っている公務員の方々を愚弄するつもりはありません。ただもう、あそこまでどうどうと言われると(たとえ正論でも)、どうにもならない立場で頑張っている人は見ているだけで腹立つでしょうということです。

2月19日の日記

2008年2月19日 その他
株取り引きはなかなか面白い。
でもデイトレーダーのようにやるほどパワーも余裕も無い。
100,000円が1割は増えたけれどね。へへ。
ここで止めてほっといても銀行の利息よりはもの凄く良い結果。
でも、そうたいして損をするわけではないのでこのまま続けてみる。
今は金利も低くて、景気も低迷してたから株価も超低価格。
だからお金持ってたら今のうちに貯金代わりに買っとけば良いのにってことだね。
なんでいっぱい買う人がいないのだろ。
東証1部なんかで株価がそこそこ低くなっている有名な会社など買っておけばいいんだ。
1年、もっと先かもしれないが上がるんだから。
日本の企業(外資もいるか)をもっと応援してあげないといけない。

株式をやってみて企業が生き物のよに見えてきた。恐ろしくもあり、面白くもあり。

12月23日の日記

2007年12月23日 その他
いや〜、良かった。テレビでやってたんだけれど「手紙」って映画、どっぷり感動。
やっぱり映画も見ないといけないね。そして、言葉は悪いかもしれないけれどアホになって見ないといけないね。物語の世界にどっぷり浸かって余計なこと考えずに見る。ただただ見る。
とにかく久しぶりに見たこの映画(テレビだけど)のおかげで助かった。
助かったってのは、その、ボクのたった一つのポリシーのようなものとして「いつまでも心初々しく」というものがあるのだけれど、これは、感動するということの大切さを忘れないよう、こころをを鈍化させてしまわないための言葉。
ボクにはやや世の中を斜に見るようなところがあるけれども、本だとか、映画だとか、絵だとか、そういうものを評論したり批評したりする立場にはなりたくない。
自分がその時、その場で受けた印象を大切にしたい。第三者として冷静な判断など仕事以外では使いたくはない。
映画を見て、その出来をうんぬんなどと、ボクはできるだけ避けたい。素直に、そう「素直さ」だ、これを忘れず、少しの感動で得られる快感さえ貪らなくてはならない。それが愉快な生き方だと思っている。
ま、しかし、やはり、チクチクと批判だとか毒舌だとかは自然に出てしまうもので、日常の会話にはにじみ出てくるのだけれど、やっぱり、おこがましいような、評論だとかはできるだけ避けて生きていかないといけないな。
確かに腹が立つほどくだらないものはあるが、それはそれ、その時のボクには感動をあたえなかったということ。

影響されやすいが、流されることはなく、新しいもの好きだけれど、レトロ趣味。人間不信だけれど騙されやすい。

11月3日の日記

2007年11月3日 その他
今までクォバディスの「ビジネス」ダイアリーを使っていたのだけれど、来年はモレスキンのウィークダイアリー(ポケット)を使おうかと思っている。けれどどうだろう、使いやすいだろうか?1年間使わないといけないので手帳選びには慎重になる。
あまりマメな方とはいえないので、システム手帳のように整理が大変そうなものは必要なく、うすっぺらな手帳で十分なのだけれど、希望として左1ページが1週間になっていて右にメモページがあるものがいい。そうなるとモレスキンがかっこいい。
クォバディスはカバーもしっかりしていて使いやすかったのだけれど、ダイアリーの時間軸が気になってしまうのが欠点だった。普通だとそれが予定を整理しやすくていいのだろうが、ボクのように不精で、予定がどう変わってくるかわからない人間には「2時○○さん」「10時〜11時30分請求書」って感じの書き込みができるようなタイプがいい。さらにかなり細かな依頼が日々舞い込んでくるのでメモページにそれを走り書きしていけるものがいい。
ま、結局のところ見た目から入る人なのでモレスキンなわけなのだけれど、祝日だとかが日本のものじゃないところなどは気にならないから問題なし。もともと会社の休みとはズレる場合もあるしね。
とりあえず今後やる事、今日の予定がわかるだけで良いのが今のところのボクの手帳使いの限界。

ボクの仕事は車で外巡りすることもあれば何かを修理したり、配達屋さんになってたり、経理になってたり、契約に走り回ってたり、クレームの対応してたりと庶務?総務?なにやってるのかわからないくらいいろいろあるのだ。設計も大工仕事もこなす現場監督みたいなものかな。雑用係。人を尾行する仕事もあった。恐かった。
そんなわけで手帳というのはすぐ書けて、肌身離さず有り、邪魔にならないものが良い。そしてボク自身もっと手帳を使いこなせるようにならなければならない。
そろそろ(手遅れか?)自分のキャリアになってくれるような仕事のやり方を出来るようにならなくてはいけないし、それには手帳が補助してくれる部分というのは大変大きいように思う。

幸運(不運かも)なことに全て自分のペースで、自分の判断で動く事のできる仕事をするポジションなのでいろいろなやり方に挑戦できることは有り難い。しかし、いち会社人間としては、いざとなれば誰でもボクの代わりが出来る環境を一時も早く作り上げたいところだ。

6月19日の日記

2007年6月19日 その他
夏ってのは夜が良いね。
夜になって、昼の暑さも和らぎ、さわさわとして若干湿っぽい風が吹いている。
雲のかかった月が出ていて、どこまでも続いている田んぼ。
まったくの静寂の中、虫の声だけがチロチロリンと聞こえてくる。
アスファルトにさわると、まだぬくくて、山の上の方にも人は住んでいるのかちらほらと明かり。
おもむろに花火などだしてきて点火。

シュッ………………パンッ!

ロケット花火は近所迷惑だ。駄目だ駄目だ。
そう思っていると、田んぼの向こうの方の家でも、シュッ……パンッ。
シュワワワと噴水のような花火。
こちらも負けじと5連発。

あーちくしょう、都会の夏はあちいなぁ。とくに夜が嫌だね。
熱せられたコンクリートが夜中になっても冷えやしない。
遠赤外線効果であっためられているような錯覚に陥る。
風も吹かない。吹いても熱風だ。
そういえばエアコンの室外機ってどんどん外に熱風を送り出してんじゃないか?
そうだ、クーラーを30分使ったら、30分室外機の風を部屋に送り込んでやる。
あー、夏嫌だなぁ。そろそろだなぁ。

10月26日の日記

2006年10月26日 その他
あー来年は三十路か。
早いなぁ。

陰にこもるような思考回路だった10代最後の頃は、
「30まで生きたら死のう」ってのが結論だったけれどもな。
なぜかって、そりゃ、食って寝て起きて、食って寝て起きて、
結婚して、子供を育てる為に苦労して、
たとえそれに幸せを見いだせたとしても、
それは真実なのか?
このピチピチとした若い脳みそが考えている「今」の思考が何よりも正しいのではないか?
そんな、ねがてぃぶな頃であった。

今、20代も終わりを迎え、
これまでのところで出した人生観は、
「辛くても悲しくても楽しくても嬉しくても、
金持ちでも貧乏でも、
だからってそれが正しいかどうかなんてわかるわけないじゃん。
じゃあ適当に生きようが努力しようが、
自分のやりたいように生きりゃ良いじゃん」
って、まあ詳細は深くなってしまうのだけれども、
現実から逃げようが、
世界の為に粉骨砕身努力しようが、
何が正しいか?
これだけは、個々の価値観だからねぇ。満足感?
正しくもあり、正しくもない。
苦労して苦労して死んでしまったけれども名誉を手に入れたら…
貧乏で貧乏で、ホームレス…家を持っていない戸籍がない…失敗?
富裕層の生まれ…事業の成功…一流大学…ないよりまし?
不幸な人生の終わりに幸せに死ぬ…
幸せな人生の終わりが悲惨な幕引き…
いったいなにがなんだか…
そう思うと、結構古代の人たちの「名」を残そう、なんて行為はボクは好きかもしれない。
とにかく元気溌剌な良い気分で生きて行きたい。

8月18日の日記

2006年8月18日 その他
暑過ぎず寒過ぎず、
果樹やら野菜やら農作物には不自由せず、
動物も豊富、
しかも風光明美で、
そこそこの山もあり、
清流もあり、
なおかつ海にも近く…って、
もしも自給自足するならば、どのような環境が良いだろうと思案すると、
結構、日本って良い国だなと再確認してしまったりもする。

まぁまぁ、日本どうこうって話はおいとくとして、
無人島なんかで自給自足(テレビなんかでよくしてるよね)なんて、
非常ににやってみたい。
いや、それ以上に将来の夢=「自給自足」なんてのも有りかもしれない。
野菜を作ったり、雨水貯めたり、
米作ってみたり、冬に備えて保存食作ってみたり、
自分で建てたりと、ワクワクするような空想世界が広がる。

んでも、そこはそれ、小市民な大人なので、
すぐに、大なり小なりな問題点を見つけてしまう。
根本的に「金」が無いと自給自足を満足にできない。
だって、税金払わず、収入も無いなんてコウロだものね。
あくまでも自給自足なんて生活はおしゃれにエンジョイしなくちゃならない。
そうしないと(たとえ自分は満足だとしても)傍目がねぇ。
傍目ってのは充実した生活を送るためにはどうしても気にしなくちゃならない。
だって、怪しすぎる人には近寄って来てくれないでしょ。
なにかのおりに容疑者にされても困るしね。

だから光熱費だとか、税金だとかくらいは支払えるような資金を貯えておくか、
あるいは定期的に収入のめどのある収入源を確保しておくだとかしなくてはならない。
そうすると理想としてはやはりリタイアメントした人々が適切かというと、
体が動きにくくなってからの自給自足突入ってのは結構しんどいのではないかと。

でも、だからといって若いうちにリタイアした人なんてのは、
やれハワイだグアムだスペインだと若い魅力に溢れたところに行きたがってしまう。

…と、ここまで考えてきたけれども長くなりそうなのでまた次回。

7月24日の日記

2006年7月24日 その他
サルスベリの花がなかなか奇麗に満開を迎えている。
誰かが昔、
「サルスベリの花が一番奇麗だ」と言っていた。
最近になってサルスベリがどのような花なのか分かったのだけれども、
確かに、クシュクシュとした桃色の花が大変奇麗だ。
それがまた、この長雨の雨にけぶった公園などによく合う。

ここのところどうも仕事に身が入らない。
慣れてきたせいもあるのだろうが、
やはり同族会社ってのは疲れる。
この前のガス給湯器の事故で名前の上がったパ□マも同族会社。
社長や会長の気分に左右されるところが甚だ大きい。

ただしかし、そういう会社にも良いところはあるはずではなかろうかと、
今一度、じっくりと見直してみようと思う。
これまで僕の辞書の中には「忍耐」という言葉は無かったのだけれども、
今回、試験的に記載してみることにした。
すなわち、気分の悪い現状から脱却し、
同族会社の良いところを己の利益とすべく、
まったく違う視点や行動で、
どのような反応が示されるであろうか忍耐を持って実験観察する。
まずは「気の持ちよう」に変化をつけてみることにする。
勝手ばかり言いやがって、自分でしてみろコンチクショウ。
ってところを、
あーわけわからん。これどうにかしてくれコンチクショウ。
なんて、ワガママ息子風?にしてみる。
もちろん、彼の我侭も受け入れつつなのだけれども、
そうすることで、同族会社ならではの環境に順応し、
「アットホーム」を作り上げてみたい。
そう、同族会社にありがちな「なぁなぁ」を自分にも当てはめるのだ。
同族ならぬ、眷属とでも言おうか。眷属社員。

大切なのは、擦り寄る巧妙さ。
こまったちゃんよろしく頻繁にいろいろなことで相談に乗ってもらう。
そしてじんわりと篭絡していくのだ。
その為、相談する問題の結果は確実に成功を見る予定の立っているものでなくてはならない。
さらに、成功が見えていないとしても、
多少頭を働かせれば解決するようなものでなくてはならない。
そして問題解決の暁には「さすが!」と。
簡単そうでこれがなかなか難しいのだけれども、
やってみるのは面白そうである。

実際に周囲を見渡してみるとちらほらとそういう部類の人間が存在する。
彼等は同僚からは疎まれながらも会社内での地位を確実に築き上げていくという、
ドラマの中に出てくるような存在である。
見習うべきところは多々有り、畏敬の念さえ抱きそうだ。
そういうドラマの中に自分は生きているのだと擦り込み、
客観的に自分を見、ミッションを成功へと導くのだ。

ただし、今まで愚痴を言い合っていた仲間のような存在からは白眼視されるであろうが。
ま、それはそれ、人の心などナナジュウゴニチ…?
新陳代謝はニジュウハチニチ?
変化していくものなのだ。
自分にもあてはまるし、他者にもあてはまる。これひとつの真理。

7月21日の日記

2006年7月21日 その他
欽ちゃんの球団解散って、
そこまでやっちゃうと変に勘ぐりたくなるよね。
例えば、維持できなくなってたのできりが良かったとか、
チーム内の人間が芋づる式に出てきてしまう前に消し去るとか、
とにかく山本の問題での各方面の動きが急すぎて、
何かあるなとは思わされるよね。

海外から来ている人間に日本の国の事を話していると、
なぜか、否定的なことを言ってしまう。

「君たちの国に比べると、日本人なんてねぇ、
金持ちは海外へ逃げちゃうし、
そうそう、団塊の世代ってのは勝ち逃げだよねぇ。
それに、若者はやる気が無いし、
不況不況って言われた僕らの世代なんてねぇ…」

こういう事言っているからおかしい国だと思われるのだろうな。
自国に対して誇りを持っていない、
住んでいる街をけなすような発言をする、
このあたり、やる気ある国の人々からすると不思議な感じらしいね。
…でもねぇ、無意識にも経済大国だという驕りがあるからこういう事言えるわけで、
まだまだ日本は平和で、愚痴言うだけ言える国なのだと認識する。
この驕りから脱却する為には、
も少し僕らの世代辺りに美味しい思いをさせて欲しいと思うのだけれどもね。
あれ?美味しい思いするとよけい驕るか?
いやいや、精神的な発展とでもいうか、そういう裕福さを求めるのだ。
今は金持ちの坊ちゃんがイジけてるような時期なのだ。

ところで、愚痴の中にある、「諦め」というものは嫌いじゃなくて、
諦めるから新しい事へ目を向ける機会もあるのだから、
まず今は「諦めから希望へ」の「諦め」の時期とでもいうべきなのであろうかなぁ。

6月29日の日記

2006年6月29日 その他
うむむ。
「黄金伝説」で魚君が釣った魚だけで1週間生活するやつ面白い。
前もやってたけれど、今回も楽しく見ている。
自分の釣った魚を海の上で料理して食べるなんて、
なんて贅沢で美味そうなんだ。もー羨ましくて楽しそうでたまらん。
んで、その裏でやってた無人島生活ナンバーワン決定戦もなかなか面白かった。
でも、あんな決定戦なんてのよりも、
無人島暮らしのドキュメント的な番組のほうがもっと好き。
やらせでもいいからそういうのいっぱい作ってほしい。
「ロビンソン・クルーソー」なんて何回読み返したことだか。
知識や経験でひととおりの事が出来きるのは凄くて勉強になるけれども、
やっぱり参考書読むよりは小説読む方がおもしろいものね。
それでもって、その後は「ウォーター・ワールド」を途中から見る。
良いね。難しく考えなければポケーッと面白く見れた。
あの人たち魚ばっかり食って暮らしてんのかな、とか、
日焼けし過ぎるだろうな、とか、
女の人少なすぎるよな、とか、
火をおこすのとか、
火薬をしけらせないでいることなんて海の上だと難しいよな、とか、
布やシートやバルーンや、あれ魚の皮かなんかなのかな、とか、
鉄とか産出するわけないから髭とかどうすんのかな、とか、
たわいもない疑問はぽろぽろと出てきたけれど、
そんなに深くは考えない程度で止めておく。
何事もそこそこで、それが妙味だ。
仕事が忙しいのでゆっくりと頭を癒せない。
頭を癒さないと仕事脳になってしまうじゃないか。
仕事脳になると効率はいいのだけれど、
なにかこう、生活に潤いがないというか、
機械のようにキクカクと日々を過ごしていってしまう。
一見正しく淡々と日々が過ぎていく。
スケジュール管理のできてる人間って、良いのだけれど、
好きじゃない。

それにしても疲れたな。
大家族のお母さんくらい疲れた。
でも進んで子供作ってるほど自業自得じゃないのだけれどもね。
「子供多いから貧乏なんですよ」
「子供多いから洗濯が大変で…」
って、あんた作り過ぎ。
ほどほどでやめときゃいいのに。
でもまあ、そこから逃げないのなら、
それはそれで、その計画性の無さは好き。

…おつむの中とちがくて、体って使い捨てだよね。
って、思うときがたまにある。
こう、なんか、古くなったから捨てるみたいな。
中身がどこいくかはわからんけれど。

6月13日の日記

2006年6月12日 その他
昔から本が好きで、
本ばかり読んでいたからか、
何かこう、頭の中にはもうひとりの自分が住み着いていて、
今の生活や思考なども、
そいつはやや斜め後方から見ている感じで、
古くさい言い回しだけれども、
人生という舞台で踊っている自分を、
励ますことも、慰めることもせずに、
投げやりな態度で自分を自分と思わずに、
現実というものを薄っぺらな紙切れのように扱い、
命というものも「ポンッ」と簡単に捨ててしまえると錯覚し、
いやはやなんとも太々しい。

皮膚一枚、薄皮一枚切れただけでも痛いのに、
痛い痛いと感じるのに、
言葉というものは、
この脳の中身というものは、
実は自分ではないのではないだろうかと、
それもまた自分であるのだけれど、
自分の思っている自分はやや超人であったりする。

自分などというものは、
社会から見ればちっぽけなもので、
社会などというものは地球から見れば薄いもので、
宇宙から見れば地球などは…
それなのに自分の脳の中というのは、
何十億年の地球の歴史にも負けないような、
得体の知れない謎なものを溢れ出させ、
はなはだ迷惑に足をひっぱろうとする。

目に見えているものが現実だ。
手に触れているものが現実だ。
それが現実だと?
これが現実だと?
明日を期待するから今があるのだろうか。
今を大切にしているから明日があるのだろうか。
それではこの現実は今なのだろうか、
それとも明日なのだろうか。
把握できているのだろうか、
理解できているのだろうか、
捨ててもいいんじゃないだろうか、
考えなくてもいいんじゃないだろうか。

実は人とは、
自分の存在を確認するために、
ひとりの誰かが居れば、
それが自分の全てなんじゃないだろうか。



ひとまず溢れ出る腐れ思考。難しくは書けない。

6月5日の日記

2006年6月5日 その他
結構いろいろ活動しているのだけれど、
いや、のんびりしているというよりはむしろ活発に生活しているのだけれども、
そのせいかどうか、いまいち創作力とでもいうのか、
書く、という事がうまくいかない。
いや、スケジュール帳での日々の行動予定など、
そういったものを書くのはなんらさしさわりはないのだけれど、
パソコンの前に座ってもうんともすんとも、
脳みそひねくり回しても、
いまいちピンとこない。
こりゃ長めのけん怠期ってやつかな。
ブログに対するけん怠期ね。
ケツの座りの悪い人間が落ち着いてしゃらくさくこ難しい読み物なんて読めないってなもんで、
どーも、こう、今は心身共にブログ向きじゃない。

こんなときは時が全てを解決してくれるってもんで、
まーいうなれば恋愛や結婚とも一緒のところがあるっちゃーあるような、
こういう時期もあるけれども、ああいう時期もあるんだよね、
とまあそういうようなことであるのであるね。

ひとまず書きたくなったら書くように、
また、書かな過ぎても危険でもあるので、
ところによりやや書くという風に、まあそんなところ。

今読んでいる本などといえば、
これといって名前をあげるほどでもなく、
達磨大師からの禅の系統について読んでみたりなんかしてみたり。
臨済宗の「臨済」って宗祖の名前なのね。ふーん。喝!
禅って世界は物語として非常に面白い。
とにかく日々是好日。

5月20日の日記

2006年5月20日 その他
駄目だぁー!
スランプだぁー!
キィーーン
日記書く気が起きない。
なんか頭も冴えないし、こりゃひょっとして…
なんじゃろ?

どうもここのところのんびりしてて刺激不足とでもいうのか、
ストレスがたまってるほうが筆はすすむとでもいうのか、
仕事脳からの切り替えのため漫画ばかり読んでるせいも無きにしもあらずというか、
書くことが思い浮かばない。
日々のことであったり、なにかしらの感想であったり、
なんでも良いのだろうけれどなかなか思うように表現できない。
そりゃまあ他人の陰口なんかだとツラツラと書きまくれそうだけれど、
いやま、そんなの書くなんてねぇ、いえね、それが奥さん聞いて下さいよ、
…いかんいかん。そんな楽しそ、不謹慎な事じゃいかん。

えへんえへん、初心に返らねばならぬ。
え、まず、まあ最近興味が有るのは、中 国語。
そろそろ本格的に勉強しようと決めた。
仲の良い年下の韓 国青年がいるのだけれど、
凄く不真面目でしゃべる日 本語も「俺さぁー、お前さぁー」なんてのりなんだけれど、
久しぶりに見かけたそいつは単語帳見ながら歩いてやがるの。
あー、そうなんだ。このくらい熱心じゃないと語学なんて身につかないんだ。って、
もの凄くショックを受けた。
だって、見かけもふてぶてしい不良風なんだからね。
変わり者好きだからこういう知り合い増える。
周囲の人間には滅茶苦茶不評な奴とかばかり。

とりあえずそいつが今、中 国語を勉 強し始めたらしくて負けたくない。
次会った時には勝っていたい。
そんなとこ。

それと仕事上もう少しパソコンにも詳しくなりたい。
なんとなくは理解しているけれど、
人に教えたり聞かれたりした場合、
適切にわかりやすく説明できるかってと、そうでもないところがイヤ。
2年ほどシス テム関係の仕事したからってでかい顔でのさばってる奴に鋭いメスを入れたい。
ちなみにパソコン関係の仕事してるわけじゃないよ。

あとは難しい本も少しは読まねば。
もう少し会話の中に小癪なエッセンスを。
語彙の豊富な人間になりたい。
分かりやすく、簡潔にしゃべる為に難しいしゃべり方はしてないのだよ。
などと言ってはみたものの、
高度な日本語を使っての会話ができる能力はない。

うんうん、こんなとこかな。

4月2日の日記

2006年4月2日 その他
服を着る。
それは甚だ時間を要して、服を選ぶ事から始まる。
いや、それ以前に、服を購入する段階から時間を使っている。
服を着るという事はそれほど大切な事なのだ。

僕はお洒落というほどお洒落でもないが、鈍くもないと自負している。
いちおうトータルに考えて購入するのだが、
家にある服とのコーディネイトも考えつつ、
使い回しのきくものを選ぶ事を心掛けている。
ポイントとして、カラー、スタイル、生地、だろうか。
自分の持っている服全体を頭に入れてカラーを合わせていく。
やはりあまり持っていないカラーのものは合わせにくい。
たまにとっぴな色の服を買うが、それに合うなにかしかを一緒に買う事も忘れない。
合うカラーを揃えていくという事は大切だ。
スタイルとしては流行りに流されず、
自分の体型に合うかどうか、見た目にスマートに着られるかどうかで服を選ぶ。
むっちりしたキン肉マンが中性的なファッションをしても鈍に見えるだけだ。
ガリガリ男は肩パット無しのなで肩ジャケットは綺麗に着こなせるのだろうが、
パリッとしたスーツは似合わない。
生地も季節に合わせないと面白みが無い。
というよりも生地は暑い寒いで選ばれるべくして選ばれているから問題はないだろう。

こういう風に選ばれて購入された服を着る。
服を着るという事を大切にしている人ははたしていかほど?
服は仮面、化粧と似ている。
自分を高揚させる大切なアイテムだ。
服を着ることは、ある種の宗教的な儀式のようなものでなくてはならない。
自分の納得のいく服を着る。
そしてそれを着ている自分に喝を入れる。
たまに、普段鈍いファッションの人が「何か」のおりに、
そう、例えばプロポーズの日に最高のお洒落な服を着てその場に臨む事など、
それなのだ。
その感覚を普段、いつも意識していなくてはならないのだ。
わざわざ高くて良いものを買えとはいわない。
選びに選び抜いた、自分に合う、そしてお洒落な服を着るのだ。
全方向性の第一印象を大切にする事、
第一印象でほとんど全ての事は判断されてしまうのだから。
なにより面倒くさい服を着る作業を楽しまなくてはならない。
断っておくが、より多くの買い物をしろといっているわけではない。
一品一品、感性よりも見た目、自分に合うかどうかを大切に少数精鋭。

何を着るかなんて気にしないような、
そんな自意識過剰、または他人(または彼、彼女など)からの見た目の評価を気にしないような、
周囲の事よりも自分のやっている作業(や趣味または自分)の方が大事な人は去るべし。

そんな僕の最近のお気に入りはスーツにドクターマーチン。

3月19日の日記

2006年3月19日 その他
通勤時には音楽を聴いている。
実は音楽にたいして興味もないくせに、
約30分の自転車通勤の暇つぶしの友に音楽を聴く。
だからこれといって思い入れのあるグループやシンガーがいるわけではないので、
とにかく適当に耳にした名前の人達の音楽をダウンロードして来て聴いている。
日本じゃ
平 井堅、くる り、ASIA N KUNG-F U、
木 村カエラ、倖 田來 未、Y UKI、中 島美 嘉などなど。
洋楽じゃ
Lillix、Lisa Loeb、Michelle Branch、Alanis Morissette、
BountyKiller 、BeenieMan などなど。
あとテクノだったりクラシックだったり。

そしたらやっぱり中には気に入る音楽も出てくる。
ASIA N KUNG-F Uなんて好きだな。

でもダウンロードして聴くのは
CD買って来て菓子でも食べながらのんびり歌詞カード見るなんてのと違って、
歌詞とか歌の名前とか覚えられない。
だからほんとに歌の好きな人はやっぱりCDを買う事を勧めたい。

あれだよ、携帯のメモリ機能で電話番号覚えられなくなったのや、
車のナビで道を覚えられなくなったのと似てるかな。
こうやって頭の中のデジタル化がどんどん進んでいくのだろうな。

3月18日の日記

2006年3月18日 その他
いやまあ知人から聞いた話で聞きかじりなんだけれど、
どうも中 国拳 法ってのは凄いらしい。
知人は空手からボク シングへと移り、
プロで5戦ほどの経験のある人なんだけれど、
まずよっぽどじゃないと拳を当てられるような事はないとの自信を持っている。
そんな彼が中 国拳 法家は強い、怖いという。
何度かスパーリ ングやらで戦った事があるらしいのだけれど、
彼等に懐に入り込まれて「発 勁」をやられると1発で悶絶するとのこと。
なにせ顔と顔がくっつくような距離でピタッ体に手のひらを当てられたと思ったらドンッと来るらしい。
それがまたKOされそうな威力があるってんだから凄い。
だからもう「ピタッ」と来るなぁー!!
って感じでジャブなんかを次々くり出すのだけれど、
フワッと体が触れるような感じでいつのまにか入り込まれてやられてしまうのだそう。
ウェルター級のボクサーの話だけに恐るべし中国 拳 法。
さらに練習風景についても聞いたのだけれど、
四股立ち(?)の姿勢で延々突きの連打を30分以上続けるなど、
半端じゃない。
もう「拳児」の世界だ。

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