先日、田舎に帰っていたおりにフキノトウを見つけた。
ボクのイメージの中のフキノトウは、雪の下、雪国、雪解け、東北。
まさかこんなところで出会えるものだとはひとつも思っていなくて、民家の脇の日当たりのいいなだらかな斜面に顔を出していたフキノトウに、新鮮な驚きとワクワクっとした喜びと、頭の中をよぎる「食ったらうまいのか?」という考えとに身震いした。
はじめに見つけた2つのフキノトウがどうやらその周囲にもぽつぽつと生えているフキノトウの中では大振りで見た目も良く、他のものたちはどうも貧弱な小振りなものばかりだった。
フキノトウは入れたばかりの緑茶のような、薄い緑、いやいやそれよりももっと鮮やかな、ごわごわした景色の中にぽつっと落とした場違いな黄緑。
何か神々しいものをを見ているような気分にさせられるほど美しいものなのだけれども、やはりそこはそれ、食ってみたいという欲求には抗えることはなく、そそくさと摘み取ってしまう。
フキ味噌にしてみようか?天ぷらが良いだろうか?他にどんな食べ方があるのだろうか?
うきうきした気持ちで家に帰り、取ってきた2つのフキノトウを台所の机の上に置くと「トカトントン(って太宰のパクリだ)」…おやっ?
なんだか味けのないただのフキノトウになってしまった。
しおれるままにするのももったいなく、かといってすぐに食べるにも調理法も分からず、しかたなく水を入れた小皿の上に転がし、他の興味あることに目を向ける。
んがしかし、食い意地のはったボクはそれが心残りで心残りで、それがもとでレビューにあるような(レビューの本とは違うが)山菜の本「ひと目で探せる四季の山菜」を購入。
四季折々の山菜の簡単な説明や食べ方が書かれており、大変楽しく読める。
だから今、ボクは山菜採りに行きたくて行きたくて仕方がない。
春の休みには必ず、山菜を採りに山へ野へ出かける。そして食べる。
ちぎり採って置きっぱなしで帰ってきてしまったあのフキノトウたちのためにも。
ボクのイメージの中のフキノトウは、雪の下、雪国、雪解け、東北。
まさかこんなところで出会えるものだとはひとつも思っていなくて、民家の脇の日当たりのいいなだらかな斜面に顔を出していたフキノトウに、新鮮な驚きとワクワクっとした喜びと、頭の中をよぎる「食ったらうまいのか?」という考えとに身震いした。
はじめに見つけた2つのフキノトウがどうやらその周囲にもぽつぽつと生えているフキノトウの中では大振りで見た目も良く、他のものたちはどうも貧弱な小振りなものばかりだった。
フキノトウは入れたばかりの緑茶のような、薄い緑、いやいやそれよりももっと鮮やかな、ごわごわした景色の中にぽつっと落とした場違いな黄緑。
何か神々しいものをを見ているような気分にさせられるほど美しいものなのだけれども、やはりそこはそれ、食ってみたいという欲求には抗えることはなく、そそくさと摘み取ってしまう。
フキ味噌にしてみようか?天ぷらが良いだろうか?他にどんな食べ方があるのだろうか?
うきうきした気持ちで家に帰り、取ってきた2つのフキノトウを台所の机の上に置くと「トカトントン(って太宰のパクリだ)」…おやっ?
なんだか味けのないただのフキノトウになってしまった。
しおれるままにするのももったいなく、かといってすぐに食べるにも調理法も分からず、しかたなく水を入れた小皿の上に転がし、他の興味あることに目を向ける。
んがしかし、食い意地のはったボクはそれが心残りで心残りで、それがもとでレビューにあるような(レビューの本とは違うが)山菜の本「ひと目で探せる四季の山菜」を購入。
四季折々の山菜の簡単な説明や食べ方が書かれており、大変楽しく読める。
だから今、ボクは山菜採りに行きたくて行きたくて仕方がない。
春の休みには必ず、山菜を採りに山へ野へ出かける。そして食べる。
ちぎり採って置きっぱなしで帰ってきてしまったあのフキノトウたちのためにも。
コメント