デスノートの中で、「L」や「メロ」は頭を使いまくるせいか、
甘いものがかかせない。
とくに「メロ」はいつも板チョコをパキリと齧っている。
…影響されやすい僕はさっそく板チョコ購入。
ここのところ温厚なミルクチョコの地位を伺っているカカオ分量多め組。
その中でも「86パーセント」の板チョコを購入。
味は甘さがかなり控えめで大人な感じで結構好き。
でも、なんかもちゃりとする気がしてそのところは、
ん〜、どうだろう。
それが昨日のことで、86は今、冷蔵庫に眠っている。
今日は忙しかったので昼は「スニッカーズ」だけ。
なんかアメリカチックでかっこいい。
もっちゃりねっとり。
忙しいビジネスマン。…んふふー。
まあこんな僕が、頭を使うわけもなく、
甘いものがそうそう必要であろうはずもなく、
でも、必要っぽいほうがかっこよくもあり、
これからもチョコを齧りたいと思うわけである。
それにしても影響を受けやすい僕としては、
このデスノートってやつの論理的に考える様は魅力的で、
頭の中でいろいろ考えるふりをしてしまう。
「あれがこうだから、こうなって、
いや、待て待て…」
この「待て待て」ってとことか好き。
それにしても、日常でデスノートのようにあれやこれや考えながら生きていると、
確かに甘いもの食わないとやってられないだろうな。
考えるのって結構面白いのだけれども、
この忙しい日々の中で瞬時に考えを巡らすのはどだい無理な話。
それに、こうまで論理的に生きるのは強力な意志がないかぎり難しいだろう。
そもそも、家族や何年もよりそった相手の事でさえ少し理解できる程度なのに、
ほとんど接触のない他人の行動パターンなどそうそう分析できるわけがない。
だから主人公らは天才なのだろうけれどもね。
ところで、自分が考えているように、
世の中の人間も考えているのだろうか?
これほど思考しているのだろうか?
そう感じる時ってないだろうか。
僕はあったね。
若かりし頃あったね。
でも今は無い。
…嘘。少しある。
みーんな、なーんも考えんと生きてるんちゃうだろかって思う時ある。
他人の頭の中なんてわからない。
自分とは明らかに異質なものが詰まっているのだろう。
ゾクッとする。
甘いものがかかせない。
とくに「メロ」はいつも板チョコをパキリと齧っている。
…影響されやすい僕はさっそく板チョコ購入。
ここのところ温厚なミルクチョコの地位を伺っているカカオ分量多め組。
その中でも「86パーセント」の板チョコを購入。
味は甘さがかなり控えめで大人な感じで結構好き。
でも、なんかもちゃりとする気がしてそのところは、
ん〜、どうだろう。
それが昨日のことで、86は今、冷蔵庫に眠っている。
今日は忙しかったので昼は「スニッカーズ」だけ。
なんかアメリカチックでかっこいい。
もっちゃりねっとり。
忙しいビジネスマン。…んふふー。
まあこんな僕が、頭を使うわけもなく、
甘いものがそうそう必要であろうはずもなく、
でも、必要っぽいほうがかっこよくもあり、
これからもチョコを齧りたいと思うわけである。
それにしても影響を受けやすい僕としては、
このデスノートってやつの論理的に考える様は魅力的で、
頭の中でいろいろ考えるふりをしてしまう。
「あれがこうだから、こうなって、
いや、待て待て…」
この「待て待て」ってとことか好き。
それにしても、日常でデスノートのようにあれやこれや考えながら生きていると、
確かに甘いもの食わないとやってられないだろうな。
考えるのって結構面白いのだけれども、
この忙しい日々の中で瞬時に考えを巡らすのはどだい無理な話。
それに、こうまで論理的に生きるのは強力な意志がないかぎり難しいだろう。
そもそも、家族や何年もよりそった相手の事でさえ少し理解できる程度なのに、
ほとんど接触のない他人の行動パターンなどそうそう分析できるわけがない。
だから主人公らは天才なのだろうけれどもね。
ところで、自分が考えているように、
世の中の人間も考えているのだろうか?
これほど思考しているのだろうか?
そう感じる時ってないだろうか。
僕はあったね。
若かりし頃あったね。
でも今は無い。
…嘘。少しある。
みーんな、なーんも考えんと生きてるんちゃうだろかって思う時ある。
他人の頭の中なんてわからない。
自分とは明らかに異質なものが詰まっているのだろう。
ゾクッとする。
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