「聞き書・ふるさとの家庭料理〈19〉日本のお弁当」
農文協編、解説:奥村彪生「ふるさとの家庭料理」シリーズ全20巻。
中でも第19巻(2003年発行)、「日本のお弁当」は最高だ。
このシリーズは1ページごとに写真と解説がついている。
例えば滋賀県東浅井郡びわ町下八木の「田植えどきの小昼の弁当」について。
…田植えのときは朝、夕以外の三回は田んぼで食べる。
たまには長浜から売りにくる焼きさばをおかずに買って、いかい(大きな)弁当箱に麦飯をぎゅっと詰め、
梅干し、たくあんで塩気を補う。常備菜に大豆を炊いたり、小魚を醤油でからっと炊いたり、
一品でも何かをこしらえて弁当のおかずにする。
米どころのこの地域では「腹がへったら飯を食え」といい、飯でほとんど腹をふくらす。
もちろんこういった解説には、めんつ(木製の曲げ物の弁当箱)に麦飯をぎゅうぎゅうに詰め目指しを乗せている写真等、
あじのある弁当の写真がページの上半分を占領する形で掲載されている。
昼時に川でモロコ(小魚)をすくいとり、軽く焙ってお椀の中に味噌と一緒に放り込み、
湯をかけて簡易みそ汁にして食べる。なんて話なんかもう、しびれるね。
色々な地域のお年寄りからの聞き書きという、古き日本のふるさとの弁当集。こういうのに弱い。
ふるさとの、というよりも子供の頃の「味」を思い出してしまう。
僕の子供の頃、おやつなんてものに「ポテチ」だとか「じゃがりこ」だとかはもちろんなかった。
ポテチくらいは発売されていたろうが、方針としてお菓子はあまり食べさせてもらえなかった。
お菓子を食べるようになったのは小学校の高学年あたりからかな。そして今はどっぷりハマっている。
いくつかその当時食べていたものを思い出してみる。
まずは「きな粉ごはん」だな。きな粉と砂糖(塩も?)を混ぜたものを白飯にドバッとかけて混ぜて食べる。
甘くてとても美味しかったと記憶している。どうして今は食べようと思わないのだろう。
あと「かたくり湯」。片栗粉をお湯で溶いてドロッとした液体に砂糖を入れて(入れてたかな?)食べる。
これもなかなかいけた。
よく寝込む子供だったのだが、そんな時、母が林檎を擂りおろしてくれたものを食べるのが一番嬉しかった。
それから「おもゆ(だったかな?)」というおかゆの上澄みだけを食べさせられた。これは物足りなかったな。
休みの日のおやつは一緒に作るドーナツだ。
少し固めで、独特の風味があり、今でもドーナツはこういったシンプルでモソッとしたものが好きだ。
最近よく売られている沖縄の「サータアンダギー」がかなり近い味だ。
そうそう、パンの耳をカラリと揚げて、砂糖を振りかけたものも好きだった。
あの頃はお菓子なんて大人の食べ物だった(今でもおばあちゃんなんかが食べてる系のお菓子達)。
たまに食べるチョコレートが美味しかった。今ではジャンドゥーヤが好きだとか言います。
一粒ずつアルミ箔に包まれ箱に入った「アーモンドチョコ」を持っている奴は金持ちだと思った。
小学校も高学年になると、数百円のおこずかいを握りしめて行く駄菓子屋。
細い小さな袋に入ったゼリーだとか、たこ焼き味の30円の丸いお菓子だとか。
当たり付きのアイスやチョコレート、自動販売機、今は殆ど見かけない。
パキッと2本に割れるソーダアイスとか、アイスの「ピノ」だって昔は当たり付きだった。
中学生の頃でも「祭り」なんか行く時のお小遣いは500円程度で、その頃の市の食べ物は大抵100円だった。
イカの足の天ぷらが100円から毎年値上がりして、今では300円だとか、もしかしてもう無かったりする。
そういや夏に食べてた「四つ玉ボンボン」といわれるゴムに入った氷のアイス、美味しかったな。
つらつらと書いてしまってこれはきりがないな。
それよりもこの貧弱なおやつ達はなんだか恥ずかしいような。でもしかたない。美味かったし。
ちなみに中学になるとアルバイトをしていた。知り合いのゴルフ場でキャディー。
1日で1万円はもらえ、お弁当も貰え、おやつも貰えたので凄く楽しかった。
月に3日ほど行くだけで3万円だから高校に入ってからより金持ちだった。
(当時、すでにキャディーへのチップ制は禁止されていたのでチップはチップスターだった)
まだまだ思い出の味ってのはあるだろうな。
農文協編、解説:奥村彪生「ふるさとの家庭料理」シリーズ全20巻。
中でも第19巻(2003年発行)、「日本のお弁当」は最高だ。
このシリーズは1ページごとに写真と解説がついている。
例えば滋賀県東浅井郡びわ町下八木の「田植えどきの小昼の弁当」について。
…田植えのときは朝、夕以外の三回は田んぼで食べる。
たまには長浜から売りにくる焼きさばをおかずに買って、いかい(大きな)弁当箱に麦飯をぎゅっと詰め、
梅干し、たくあんで塩気を補う。常備菜に大豆を炊いたり、小魚を醤油でからっと炊いたり、
一品でも何かをこしらえて弁当のおかずにする。
米どころのこの地域では「腹がへったら飯を食え」といい、飯でほとんど腹をふくらす。
もちろんこういった解説には、めんつ(木製の曲げ物の弁当箱)に麦飯をぎゅうぎゅうに詰め目指しを乗せている写真等、
あじのある弁当の写真がページの上半分を占領する形で掲載されている。
昼時に川でモロコ(小魚)をすくいとり、軽く焙ってお椀の中に味噌と一緒に放り込み、
湯をかけて簡易みそ汁にして食べる。なんて話なんかもう、しびれるね。
色々な地域のお年寄りからの聞き書きという、古き日本のふるさとの弁当集。こういうのに弱い。
ふるさとの、というよりも子供の頃の「味」を思い出してしまう。
僕の子供の頃、おやつなんてものに「ポテチ」だとか「じゃがりこ」だとかはもちろんなかった。
ポテチくらいは発売されていたろうが、方針としてお菓子はあまり食べさせてもらえなかった。
お菓子を食べるようになったのは小学校の高学年あたりからかな。そして今はどっぷりハマっている。
いくつかその当時食べていたものを思い出してみる。
まずは「きな粉ごはん」だな。きな粉と砂糖(塩も?)を混ぜたものを白飯にドバッとかけて混ぜて食べる。
甘くてとても美味しかったと記憶している。どうして今は食べようと思わないのだろう。
あと「かたくり湯」。片栗粉をお湯で溶いてドロッとした液体に砂糖を入れて(入れてたかな?)食べる。
これもなかなかいけた。
よく寝込む子供だったのだが、そんな時、母が林檎を擂りおろしてくれたものを食べるのが一番嬉しかった。
それから「おもゆ(だったかな?)」というおかゆの上澄みだけを食べさせられた。これは物足りなかったな。
休みの日のおやつは一緒に作るドーナツだ。
少し固めで、独特の風味があり、今でもドーナツはこういったシンプルでモソッとしたものが好きだ。
最近よく売られている沖縄の「サータアンダギー」がかなり近い味だ。
そうそう、パンの耳をカラリと揚げて、砂糖を振りかけたものも好きだった。
あの頃はお菓子なんて大人の食べ物だった(今でもおばあちゃんなんかが食べてる系のお菓子達)。
たまに食べるチョコレートが美味しかった。今ではジャンドゥーヤが好きだとか言います。
一粒ずつアルミ箔に包まれ箱に入った「アーモンドチョコ」を持っている奴は金持ちだと思った。
小学校も高学年になると、数百円のおこずかいを握りしめて行く駄菓子屋。
細い小さな袋に入ったゼリーだとか、たこ焼き味の30円の丸いお菓子だとか。
当たり付きのアイスやチョコレート、自動販売機、今は殆ど見かけない。
パキッと2本に割れるソーダアイスとか、アイスの「ピノ」だって昔は当たり付きだった。
中学生の頃でも「祭り」なんか行く時のお小遣いは500円程度で、その頃の市の食べ物は大抵100円だった。
イカの足の天ぷらが100円から毎年値上がりして、今では300円だとか、もしかしてもう無かったりする。
そういや夏に食べてた「四つ玉ボンボン」といわれるゴムに入った氷のアイス、美味しかったな。
つらつらと書いてしまってこれはきりがないな。
それよりもこの貧弱なおやつ達はなんだか恥ずかしいような。でもしかたない。美味かったし。
ちなみに中学になるとアルバイトをしていた。知り合いのゴルフ場でキャディー。
1日で1万円はもらえ、お弁当も貰え、おやつも貰えたので凄く楽しかった。
月に3日ほど行くだけで3万円だから高校に入ってからより金持ちだった。
(当時、すでにキャディーへのチップ制は禁止されていたのでチップはチップスターだった)
まだまだ思い出の味ってのはあるだろうな。
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