10月31日の日記

2005年10月31日
良いエッセイや小説に出会うとすぐにその文章の「クセ」に影響されてしまう。
それは僕が思うになかなか良い事で、
たとえば論理的な文章が書きたいのなら数学者の論文であるとか、
物事をクールに判断している人のものを読み、そしてそれを徹底的に模倣するのがいい。
そうすることによってその人に、その文に、その心に近付く事ができる。と思う。

そういえば以前に少し書いたのだけれど、
セミナーで仲良くなった男が僕に一緒に仕事をしないかと持ちかけて来ている。
彼はどうやら自分が計画している、いわゆる「ビジネス」の仲間として
僕を取り込みたいらしい。
「取り込む」なんていう言い方は聞こえが悪いから使うか使うまいか躊躇してしまったが
彼の話方、彼自身、その話の内容を真剣に聞けば聞くほどそう思ってしまうのだからしかたがない。
結論から言うと「うさんくさい」「どこかのマルチ商法まがい」なのだ。
彼のいうところの「今までに無い、楽でもうけられる商売」「自分の時間を有意義に使える仕事」
というそれはもう美味しそうなその話とは彼の知人の発案に彼が肉付けし、
これから大々的に始動しようという世界規模のインターネットビジネスらしいのだけれども、
よりによってこの僕(知己でもない)に話を持って来ている事自体、彼の存在が彼の周囲では評価されておらず、
友人達(または知人)との間では信用という繋がりが築けていない証拠ではないだろうか。
そもそも彼自身はこの話を「持って行く」だけで、話を聞いて納得し、いざ動くぞという人達とは
ともに動く気もなく、それでいて取締役のような存在になりたいという、
まことに身勝手な、まあ、つまり彼からすると「楽してもうける事ができる」商売なのである。
ただし、マーケティングプランはなかなかユニークで、
それに詳細な数字が入れば満点だと思わせるようなプランなので、こっそりとやってしまいたくなる。
そう、プラン自体は評価されて当然のような、頭の良い彼の素晴らしい力が発揮されているのに
世間一般でいうところの「カリスマ性」がリーダーとしての彼に欠落しているのだ。
おしい、おしいな。社会的信用と人脈を彼が持っていれば、
もしかしたら、あるいは第二、第三の楽天やその他六本木ヒルズ族のようになれたかもしれないのに。…言い過ぎた。

明日、また彼はその話を僕に聞かせたいという。
はなはだ迷惑な事だけれど、
話を初めて聞いた時点ではっきりとした拒絶の答えを出さなかった僕に非がある。
エセ隠者のような僕を選んでいる時点で間違ってはいるけれど。
彼が僕を「取り込む」べく、はたして信用というものを僕に植え付ける事が出来るであろうか?
今現在、こんな事をタラタラと書いているところからして、彼にはかわいそうだけれど、
「そりゃ−無理な相談だ。」
だから明日は丁重にお断りしよう。
そんなうまい話ならまず、自分でやったらいいのだと言おう。
自分のプランに沿って自分が動く事がなによりも成功に近いであろうし、
成功したならば、自分から誘わなくとも向こうから頭を下げてくるよと。
とりあえずほとんど見ず知らずの僕に何か言う前に君はどこに住んでいるのさ。
生まれは何処なのさ、食べ物は何が好きなのさ、暇な日は何してるのさ。
何より僕の何を知っているのさ。

そうそう、彼の話がなぜ胡散臭くなってしまうのかという事にひとつ答えを見いだせた。
それは、話が一方的過ぎる上に、間断なくマシンガンのようにしゃべりまくる彼のトークにあったのだ。

…うーん、「クセ」ねぇ。僕ほど人に影響されやすい人間ってのも珍しいのかなぁ。
難しい本を読んでいるとなんだかこっちまで頭が良くなった気がするし、
面白い本を読んでいるとこちらまで面白い人間になれる気がする。
という事は、人間簡単な本ばかり読んでいたら駄目だって事なのかな。

ところで感受性というものがあるけれど、「影響受けやすい」から感受性が強いとは限らない。
本の世界にどっぷりとハマりきっているからといって感受性が強いとは限らない。
本の世界に流されている事と、
本の世界から何か刺激(それはあるいは反発であったり)を受けるという事とは違うから。
そして僕は流されるまま気の向くまま。

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